日本におけるドゴの歴史   ―30年を振り返る―
大阪プロット&ドゴクラブ リーダー   GORO/T

私がドゴ・アルヘンティーノと出会ったのは、今から30年程前のことです。
日本のハンティング・マガジンの世界の猟犬のコーナーでアルゼンチンの
鉄砲いらずの猪犬と紹介されていました。
その頃、私たちは少数のドゴを飼いはじめました。 ビッグ・ゲーム・ハンターが
多数集まるイベント(猪犬大会)でドゴと大猪を戦わせ、ドゴの素晴らしい
強力な噛芸を公開したところ、ドゴを求める人が多数集まりました。
私の猟友達がアルゼンチンへドゴを買い付けに行き、現地の有名な
ブリーダーに会い、ドゴを見学し、数頭のドゴを持ち帰りました。ほとんどの人が
ビジネス目的でドゴの買い方、使い方、犬の良し悪しも解らずに輸入しました。
良い犬は少数で欠点のある犬が多く、皮膚病、欠聴、後足の弱い犬
ドゴらしくない犬、人や犬に吠え付く犬など
それらの犬も次々と仔犬を作り、高価で売られました。その後は現地の
案内人(業者)によって次々紹介され短期間に40から50頭輸入されました。
今と違ってこの時代は$が360円の時代でネットもなく苦労しました。
ドゴもその他の経費も高く、日系の日本語の分かる業者に頼むしか
なかったので、正直今思うと、かなりローカルな犬を安く買い集め
日本へ高価で送り込んだようです。
私たちは狩猟に使うのが第一の目的でしたが、ほとんどの犬が使い物に
ならなかったことは事実でした。
日本の猟場はブッシュが多く、山も高く急なため大型犬のドゴを使いこなす
人も少なく、日本犬やその他の犬種と交配し、ドゴのF1を作り、猟に使ったら
ドゴ雑はスピード、フットワーク、噛みも抜群の犬が多くでき、実猟において
良い成績を上げた犬が多かった。
また、猟犬として良いドゴは短命な犬が多かった。なぜならば、ドゴは相手を
選ばない。どんなに大きな荒猪に対しても真っ向勝負し、猪の顔めがけて
飛びつくように鼻や耳、顎を噛み、一度噛んだら噛みなおすことはなく
グイグイと噛みこんで荒猪に振り回されても引きずられても
放すことは無く命を懸けて戦います。
10回勝っても1回のミスで猪の牙で切られ重症になるか死ぬ犬が多かった。
この時代は猪も高価で80キロ級で20万から25万円で取引されていたので
ドゴが消耗品的に扱われる時期もありました。その後はドゴを輸入する人も
いなくなり、ごく一部の人がドゴを理解し、ドゴを好きな人が飼い続けていましたが
純血と言える犬は姿を見せなくなり、ドゴに近い犬(ドゴ雑)が
ハンターの世界でドゴと言って売られていました。 私はこうした犬をジャパン・ドゴと
呼んでいました。
私も多数のドゴを飼いましたが、思い出に残る犬は小型の牡犬の一頭のみでした。
この犬は、猪を見つけ出すのが速く、スピード、フットワーク、噛みは
抜群で主人を裏切ることなく、実猟でもイベントでも猪とうまく戦いました。
家庭では家族の良きペット犬で、性格の良い、甘ったれのとても賢い犬でした。
この犬も亡くなり、私の犬舎から一時ドゴの姿が消えました。
今から8年前、若い頃からドゴが好きであった上村氏が念願のドゴの
仔犬を2頭(Jajome's IkeとLily)輸入しました。
そして上村氏が始めて仔犬を生ませたとき、私に5頭のドゴをプレゼントしてくれました。
久しぶりの純血ドゴの仔犬はとても可愛く、家内と娘は大喜び
この時が私のドゴ病2回目の始まりで、上村氏と私の二人で買い始め
上村氏は次々と仔犬を作り、若い仲間も増えてきました。Ike×Lilyの組み合わせで
良い犬が多数できました。私の仔犬たちも成長し、上村系の牝犬のために
私が種牡を探し始めました。
私はネットも英語も苦手なので猟友の娘さんである河合正美さんに
手伝ってもらい世界のドゴの犬舎を調べました。
私はアルゼンチンの知人からデータを集め、ブラボーラのカルロス氏を選びました。
日本には昔からの古い諺が有ります。 “犬を買うなら、人を買え!”
ブリーダーの人柄、人間性、実績などを調べること。世界共通、犬のブローカー
には悪質な人が多いので要注意である。
カルロス氏はとても親切で良心的な対応でした。私の希望を100%クリアーし
紹介してくれたのがRecadoの直子6ヶ月のロミーでした。写真と血統内容を調べてOKしました。
10ヶ月で日本に来ましたが、さすがカルロス氏の自信作の犬 私の理想とする
タイプの犬で、古くからのドゴ仲間たちは別格の犬だと喜んで評価しています。
ロミーは日本のドゴの改良に十分役立つ犬と 私は確信しています。 
また、家内や娘、孫の良きガードドッグで、どこへ行っても人気者です。
ロミーを紹介してくれた カルロス氏に感謝します。